織田信長の子孫

織田信長の家系

家系図織田信長画像

と言えば、有名なのが某スケート選手です。家系図から見ると、織田信長の7男の信高の系統でとされています
織田信長はもともと尾張の守護代の家の生まれですので、比較的史料などからその系統は古く平安時代までさかのぼることができるようです。(もっとも古くなればなるほど、信ぴょう性が下がり、全部天皇家につながってしまうのもこのころの特徴ですが)
さて、信長にはたくさんの子供(12男15女)がいたので、すべを網羅しようとすると、その系統は信長以降だけでも枝分かれがかなりの数になります。
大雑把にまとめていくと嫡男だった信忠(庶子で年長の男兄弟はいたようですが、正室の帰蝶の息子では最年長)は本能寺の変で織田信長とともに明智光秀に討たれ、その子供の秀信も一時大名となるものの関ヶ原の合戦で西軍についたために最終的には存続できず、信長の嫡男の家系はこの段階で断絶しています。ほかにも男子の多くが関ヶ原の合戦で西軍について没落したり、徳川幕府の時代に嫡男がいないために断絶しています。
現代まで続いているのは次男の信雄、7男信高、9男信貞の家系です。
それから娘のほうですが、さすがに政略結婚の時代だけあって、多様な人物を信長の娘婿にみることができます。
徳川信康(家康の長男)、丹羽長重(丹羽長秀長男)、前田利長(前田利家長男)、蒲生氏郷(上杉景勝の前の会津領主)など。ほかにも養女は武田信玄の後継者の勝頼に嫁いでいたりします。
(織田信長は実の娘は家臣に嫁がせ、政略結婚させる娘については養子ばかりだったようです)
さらに織田家と言えば、信長と並んで戦国一の美女といわれたお市が有名ですが、この人は近江の浅井長政と結婚して男子は織田信長が近江を攻めた際に亡くなっていますが、(一部生存説もあります)三人の姉妹はそれぞれ豊臣秀吉の側室の淀君(こちらは秀頼の代で途絶えますが)、京極高次の妻となった次女の初、徳川秀忠の妻になった3女江です。とくにその秀忠に嫁いだ3女の江の系統は徳川家の嫡流ですので現代まで続いていて、織田家、徳川家、そして浅井家の血筋が混ざり合い、現在まで続いているということになります。
戦国時代は特に同盟のために政略結婚が繰り返されていますので、意外な人物が実は遠い親戚だったりすることが多々あり、個別にばらばらにしっている事実も家系図にまとめてみると意外なつながりが見えてきます
ちなみにスケート選手の織田信成選手は7男信高の系統ですが、信高が徳川幕府の旗本となり、現在は15代目当主であり、その信成選手はその次男にあたるそうです。

 


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